最人類の創造性が1990年以降下がっているという記事を見かけました。 毎日忙しい時間を過ごしていることと、電子的な娯楽に接触してる時間が長くなっている ことが要因になっていると説明されていました。
私たちの工房で、都市の文化形成についての話をする機会があり、その中で日本人の手の感覚が失われてきていて文化の形成へ影響し、人の感性や感受性が劣化している、という意見がありました。感性や感受性が劣ってくると、日々の暮らしの中の喜びや驚きの機会が減ったり、また人の熱量が冷えてしまったりと、人が受け取る刺激の量や質を狭めてしまうことに繋がります。こうした日々の暮らしの中で受ける刺激が狭まることや、そこから影響して人と人との会話の内容も薄いものになり、創造性は育まれにくくなってきているのではないかと私たちは考えます。
様々な商品が生まれていき生活は便利になってきたのですが、それとともに人はその便利さを享受することで、様々なことを失ってきました。 携帯電話がなかったときには、待ち合わせ時間に遅れることがあっても連絡の手段が なく、待たされる側は『相手に何かあったのではないか?』待たす側は『申し訳ないな、心配しているだろうな』とお互いに相手のことを心配して想いがより募ることもありました。 今では携帯電話ですぐに連絡が取れるので、こうした待ち合わせで遅れたとしても相手のことを心配する度合いは減っているのではないでしょうか
またナイフで鉛筆を削る人は少ないと思いますが、私が子供の時は鉛筆削りではなく手の感覚を鍛えるためにナイフで削ることを親から強いられました。ナイフで怪我をすることで 痛みを認識して、失敗しないように自衛手段を身につけることに繋がったのだと思います。
こうして便利なものが多くなることによって人が本来備えていた本能や能力が必要とされなくなり錆び付いていくことになるような気がします。感性や感受性もまさにこの流れと直結していて、自分で生み出すことができるものも、お金を出して手に入れることができるので、生み出す喜びを得る機会を失っています。スマホも便利なのですが楽しみすらも まずはスマホから得るという過度に乗っかってしまっている人も少なくないのではないでしょうか。ときおり電車やカフェなどで見かけるカップルや子供連れの家族が、お互いにスマホに熱中しているのを見かけますが、とても残念な光景です。
ある学校で小学生から高校生を対象に、学校のカリキュラムの一環として、編み物・洋裁・木工、金属工芸など自分の手で作ることを学ばせて、想像力や創造力を養い、生きていく喜びや生きていく力を育むことを狙いとすると紹介されていました。自然の素材に手を加えて暮らしの中に役立つものを美しく作ることを学ぶそうです。 これから暮らす上で、全部が全部自分でつくる、手作りのものだけを購入するということ ではありません。世の中の流れに身を委ね過ぎてしまって、人として大事な可能性を活かすことに気づかず暮らしている方々が多いのではないかと感じます。

私たちの工房では、こうした世の中の流れに対して、自分たちは何ができるのだろうと工房の中や工房の外の方々と会話をしています。普段の生活や仕事のなかに喜びや愉しさを作り出して日々の生活を彩り豊かなものにしたいものです。私たちとそんな会話をしませんか?